早稲田大学在学中に、フォーク・グループ六文銭に初代マネージャーとして参加。同時に伝説化された、中津川全日本フォーク・ジャンボリーの実行委員としても活動。早大後輩の後藤由多加氏を中心としたユイ音楽工房に合流し、ユイ音楽出版の設立に参加。その後20代で音楽制作宣伝会社OURHOUSEを設立、独立する。当時日本では数少なかったインディペンデント・プロデューサーとして、竹内まりや、大貫妙子を、また資生堂CMの坂本龍一+忌野清志郎の「い・け・な・いルージュ・マジック」など制作。細野晴臣のノン・スタンダード・レーベルやフリッパーズ・ギター解散後に設立されたTRATTORIAレーベル、フランス、サラヴァレコードとの連携など一貫して先駆者的な役割を担っている。現在最古参の現役音楽プロデューサーである。